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2019/04/19
家紋
カテゴリー:先代社長のブログ
皆さんは、ご自宅の「家紋」をご存知ですか?
私の家は「下り藤」ですが、それでも何種類もあるそうです。
よく知られている家紋だけでも数百種類、家紋集などには2000種類を超えるデザインが載っています。
何を今更家紋の話など、とお思いかも知れませんが、今回私がお話したいのは、
家紋の話ではなく、家紋を受け継がない日本人の心についてです。
「沖縄の人々は、先祖崇拝であり、お墓を大切にしている」という話を冒頭にしましたが、本土(?)の巷で広まっている「墓じまい」はその真逆、先祖を消し去る行為と言っても過言ではない気がします。
20世紀の末に日本経済の衰退が鮮明になり、21世紀初頭にはついに人口減少という、近代国家の戦争下以外では、始まって以来の異常現象が起きています。
その時期の「墓じまい」という行為は、一体何を意味するのでしょう?
和室が消え、仏間がなくなり、華美な仏壇が無くなりました。
基本的に、日常生活の中に仏教は見えなくなりました。
そして、今度は「お墓」です。
もちろん、様々な理由があるでしょう。
「遠くて面倒が見れない」
「子供がいないので、墓守する人がいない」
そして「私が死んだあとは、墓に入れなくていい」です。
そうした論理は、ヒット曲「私のお墓の前で泣かないでください」からインスパイア?されたことも大きいのでは。
人は生まれたとき、泣きながら生まれます。
「私は生まれました」と母親に訴えているのです。
「人は一人で生まれて、一人で死ぬ」などと妄言を吐く人がいますが、決して一人では生まれません。
その後の人生がどのようになるかは、分かりませんが、一人で生きていける人もいません。
私たちが今日生あるのは、営々とつながれた生命の連鎖から成り立っているのです。
ここから外れれば、滅びるのみではないでしょうか。
支えあうことも、労わり合うことも、共に生きる、ということを自覚し合って
初めて実行できるのではないでしょうか。
偉そうに言ってしまいましたが、先祖なくして私たちは存在しないし、私たちもその先祖の一員となるのが、生まれてきた使命の一つ、と言ってもいいのでは。